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仙台高等裁判所 昭和30年(ネ)569号 判決

控訴人 佐々木佐七

被控訴人 宮城県加美郡小野田町

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴人は、「原判決を取消す、被控訴人の請求を棄却する、訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする」との判決を求め、被控訴人は控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の事実上の主張並びに証拠の提出、援用、認否は、被控訴人が、

(1)  控訴人が本件土地を被控訴人から交換によつて取得したと主張する昭和二一年四月ころ、被控訴人町長は高橋省一で、同人が同年一一月二六日退職した後、助役早坂信重郎が町長職務代理者となり昭和二二年四月六日被控訴人町長に就任したが、右高橋、早坂両人在職期間中本件土地交換について町会の議決のなされたことはなかつた。

(2)  右早坂信重郎が控訴人主張のように本件土地を控訴人に引渡したとしても、当時同人は助役であり、町所有財産の処分権はもとより処分の執行権をも有していなかつたから、同人の行為が被控訴町所有財産処分の効力を生ずるいわれのないことは旧町村制の規定に照して明らかなところである。

(3)  小野田町林野管理区分調査委員会は町議会議員のほか九人の民間人を加えた調査委員会であり、町議会に代ることのできる町の議決機関ではないから、同委員会が本件土地交換の件を協議したとしてもそれが町議会の議決と同一の効力をもつものではなく、もとより被控訴町長がその協議の結果を被控訴町の行為として執行することはできない。

(4)  本件土地の交換については当時被控訴町でこの点について町議会の議決の無かつたことは右のとおりであるが、右土地登記簿上も所有権移転の手続がされていず、土地の交換について具体的事実は何も存しないのである。

(5)  控訴人の後記(3) の主張事実については次のとおり主張する。

(イ)  小野田町西小野田字原反目一四番の三、山林一反八畝は、これが部落有当時にその部落で早坂{胞衣}蔵に売渡したのであつたが、所有権移転登記を経ていなかつたので大正二年町有地として統一されたもので、被控訴人は売却の事実発見とともに同人に対し所有権移転に必要な手続を進めている。

(ロ)  今野一郎所有鹿原南原二五の三の土地は同人から被控訴人所有鹿原小学校敷地として提供されたので被控訴人は同人に対し鹿原水堀三〇番の一ほか四筆の田を耕作させているが、法人である被控訴人は小作農地を保有できないからこれを同人に解放することになつている。

(ハ)  小山まさをに対する鹿原立板上の原一番の一のうち三反歩の土地は、その処分について昭和一〇年町議会の議決を経、翌年知事の許可を得て登記済である。

(ニ)  小山新助、小山兵吉、小山千秋に対する鹿原立板上の原の土地も(ハ)と同様法の規定する手続をふんで登記済である。

(ホ)  工藤富雄に対する土地については控訴人の主張どおり町議会の議決により処理済である。

以上のようにそれぞれ所定の手続をふんだのであり、右の各事実を基として控訴人が本件土地の交換契約の履行を求めるのは理由がない、と述べ、

控訴人が、

(1)  本件山林は控訴人及び訴外鈴木孝吉所有の加美郡小野田町月崎字村山五番原野三畝一四歩ほか二筆の土地を昭和二一年一一月ころ被控訴人と交換しそのころ控訴人は本件土地の引渡を受け境界として要所に塚を設け、翌年から昭和二八年までこれに杉を植栽した。(昭和二二年、約二、〇〇〇本、同二三年、一、〇〇〇本、同二五年、一、五〇〇本、同二七年、一、一四〇本、同二八年一、〇五〇本。)そして、昭和二五年、同二七年、同二八年度分については被控訴人の代表者町長高橋平右衛門を組合長とする小野田森林組合の手を通じ宮城県知事から補助金の交付を受け、昭和二九年には本件土地から伐木することの宮城県知事の許可を受け、右伐採跡地については造林地として同知事の指定を受けたが、これらのことは総て被控訴町の代表者を通じてしているのである。

(2)  右土地交換については訴外藤原慶治らが現地に臨んで図面を作成し、これを小野田町山野管理委員会並に当時の被控訴人代表者早坂信重郎に報告し、右委員会の承認を得て右代表者早坂が控訴人との間の右交換を決定したのである。そこで控訴人は右決定後前記のように現在まで約八年にわたつて本件山林に杉を植栽し、これが生育に努めて右山林を占有管理してきた。しかも被控訴人はその間控訴人に対してなんらの苦情も申入れなかつた。

(3)  仮に被控訴人主張のように本件土地と控訴人所有地との交換について小野田町議会の議決を経なかつたとしても、小野田町山野管理委員会は小野田町議会議員全員と各部落代表者を以て構成されており、実質上の町議会と同様の権限を所有していて、従来小野田町では町議会に代りこの種の委員会、又は町会議員の全員協議会の決定を町議会の議決と同視し、執行部は右決定に基いて各種の財産の処分、工事の請負契約をしてきたのであり、控訴人が本件土地を占有管理することは昭和二二年以来被控訴人が容認してきたばかりでなく、町議会も本件土地が交換地として控訴人に引渡されたものとして取扱つてきたのである。このことは次の各事例によつても明らかである。即ち、

(イ)  小野田町西小野田字原反目一四番の三、山林一反八畝の町有林を小野田町は約三五年前訴外早坂{胞衣}蔵に売却したが、これににつき町会の議決はもとより未だに所有権移転登記も経ていないのにかかわらず、右早坂はその土地の引渡を受け、今日まで所有者としてこれを占有使用している。

(ロ)  訴外今野一郎は約三〇年前同人所有の小野田町鹿の原字南原二五番の三のうち約一畝一四歩と小野田所有の同上鹿の原水堀三〇番の一、田五畝歩、同三〇番の二、田一反歩、同三一番の一、田二反歩、同三一番の二、田一反歩、同三一番の三、田一反歩、合計五反五畝歩とを交換し、これにつき町議会の議決、所有権移転登記等を経ていないことは控訴人と同様であるのに、交換後今日まで交換地を相互に占有使用して異論がない。

(ハ)  訴外小山まさをは約二〇年前、小野田町所有の同町鹿の原立板上の原一番の一、二五町五反九畝六歩のうち約三反歩を同町から譲受け占有使用しているが、これにつき町議会の議決及び移転登記はない。

(ニ)  小野田町は昭和八年に、訴外小山新助に同町鹿の原立板上の原一番の三、小山兵吉に同番の四、小山千秋に同番の五及び六をそれぞれ譲渡し、同年いずれも町有地より分筆登記したが、右譲渡の町議会の議決は昭和一一年であり、所有権移転登記は昭和一五年で、宮城県知事の許可は得ていない。

(ホ)  訴外工藤富雄は昭和一六年、小野田町西小野田字鹿の原水堀二六番及び同二五番田合計二反七畝二四歩と小野田町所有の同町西小野田字鹿の原谷地袋九番地内の田三反六畝一二歩とを交換し、それぞれ現地の引渡を受けたが、昭和二九年まで町議会の議決並びに所有権移転登記はなく、同年になつて同人のもと所有地を小野田町に対する寄付、町所有地は同人が買受けたこととして処理している。

以上の各事例の大半は小野田町議会議員の諒解又は前記委員会の決定の下に行われたのである。したがつて、控訴人は被控訴人との土地交換契約の締結について直接これに当つた訴外早坂信重郎に被控訴人を代表して右契約の締結とその履行をする権限があると信じたのであり、またそう信ずるにつき正当の事由があつたのであるから被控訴人は民法第一一〇条により右契約上の義務を負担しなければならないのである。と述べた。ほかは原判決事実摘示と同一であるからこれを引用する。

〈証拠省略〉

理由

当裁判所は新しく次の判断を加えるほかは原判決と事実の確定並びに法律判断を同じくするから原判決理由をここに引用する。(控訴人が当審において新しく提出した全立証を以てするも右認定を覆すに足りない。)

市町村のような公法人であつても、その所有財産を譲渡するというようないわゆる非権力的作用については民法第一一〇条の適用ありと解すべきことは正に控訴人の主張するとおりであるけれども、元来市町村長の代表権限は法律の明かに定めるところであり、(特にその所有財産の処分について旧町村制第四〇条第六号、地方自治法第九六条第一項第七号、)市町村長が市町村議会の議決された範囲を逸脱して行為したような場合は格別、全然議決の存しないときは民法第一一〇条の適用の余地は殆どないわけであり、本件の場合特にその適用があるとする根拠については控訴人に特段の主張、立証がないのであるからこの点に関する控訴人の主張はこれを認めることはできない。

したがつて、被控訴人の請求は正当なものとしてこれを認容すべく、原判決は相当であるから民訴法三八四条、九五条、八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 斎藤規矩三 沼尻芳孝 杉本正雄)

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